所在地
長野県長野市
主な受賞歴
- 全国花火競技大会(大曲の花火)
- 2011年/内閣総理大臣賞、創造花火の部 準優勝、10号割物の部 準優勝
- 2018年/10号玉芯入割物の部 準優勝
- 2015年/創造花火の部 準優勝、10号玉芯入割物の部 準優勝、10号玉自由玉の部 入賞
- 土浦全国花火競技大会
- 2017年/内閣総理大臣賞、経済産業大臣賞(スターマインの部 優勝)、10号玉の部 準優勝
- 2018年/スターマインの部 準優勝
担当花火大会
- 長野えびす講煙火大会
紹介
創業大正5年(1916年)。創業時の主力商品は線香花火。
紅屋青木煙火店が商売として花火を作る「煙火師」を始めたのは1916年。それまで地域ごとに伝わるものを神社の氏子が作っていた打ち上げ花火を、専門に扱う業者が出始めた頃だった。「当時は商売として成り立つかどうか不透明な面もあり、煙火師になるのは資産家が多かったようだ」と3代目の昭夫社長は話す。
初代の青木儀作氏は長野市の地主の末っ子で、会社勤めをしていたが「脱サラ」で煙火師を始めた。当時は周辺に4社ほど、長野県内には80社ほどあったそうだ。
その頃打ち上げ花火は作る物で、買う物ではない時代。売れたのは線香花火だけだった。打ち上げ花火のライバルが多い長野市の問屋に販売すれば買いたたかれると考えた儀作氏は一念発起。東京まで独自のルートを開拓して販路を広げたという。
花火コンクールでの優勝が事業を大きく伸ばしました。
昭和に入って、今で言う花火コンクールがブームになると状況は一変した。当時は流浪の花火職人が各地を巡って地域の煙火師の指導をしていた。秋祭り以外の時期に花火が売れず困っていた儀作氏は、そんな職人から「青木さんのところの花火なら競技大会に出しても大丈夫」と言われ出品を決意した。
当時の大会は、出品は無料で優勝者に高額の賞金が出ることが多かった。儀作氏は幼い息子の名前も使い多くの花火を出品。やがて紅屋青木煙火店の名前が知られるようになると、名誉が欲しい各地の煙火師が儀作氏に花火作りを依頼。賞金は全てもらうことで稼ぎを増やした。
大曲の花火の歴代優勝者を調べてみると、昭和3年(1928年)と昭和5年(1930年)の優勝者に”青木多聞”氏(2代目)の名前がありました。これ、「儀作氏は幼い息子の名前も使い・・・」が事実だったことの証拠ですね。
また、大曲の花火での結果について、1950〜1999年の50年間分見てみると、紅屋青木煙火店の優勝回数は計40回。複数部門で優勝した年もあるので、いずれかの部門で優勝した”年”を数えてみると、なんと28年。2年に1度はいずれかの部門で優勝した計算となり、紅屋青木煙火店の常勝っぷりがよく分かります。
歴代花火師
- 初代:青木儀作
- 2代目:青木多聞(1994年に死去)
- 3代目:青木昭夫
ファンとの接点
公式HP
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